舞妓や芸妓が行き交い、花街の風情が色濃く残る祇園町南側。町家の紅柄格子が整然と続く古い町並みにとけ込むように、『やまぐち』はある。完全紹介制につき、ミシュランガイドに掲載されることはない。それでも、グルメサイトでは国内最高峰の評価を獲得し続けている。イタリアでも東京でもない、お茶屋遊びの聖地・祇園のイタリア料理店だからこそ、高級食材を豪快に用いて客を楽しませるのが『やまぐち』のスタイルだ。どの料理も独創的で、「また食べたい」と思わせる中毒性がたまらない。食通でなくとも一度は行ってみたいと願う、イタリアンの名店だ。
やまぐち 山口正 氏
やまぐちただし●1975年岐阜県生まれ。大学進学を機に18歳で上京。両親の夢でもあった弁護士の道を志すも、アルバイトで入った蕎麦割烹『吉法師』で料理の面白さに開眼。大学卒業後、同店に住み込みで働きながら独学で調理師免許を取得。修業中にイタリア料理に魅了されイタリアンシェフに転身し、「リストランテ カノビアーノ』および『カノビアーノ京都』の立ち上げから参画。シェフとして研鑽を積み、『リストランテ ティヴェリオ ベーネ(t.v.b)』でさらに腕を磨く。2011年、京都祇園にて『やまぐち』を開業。
やまぐちとは
『やまぐち』といえば、自家製カラスミをふんだんにかけた冷製カペッリーニを思い起こす。「お好きなだけどうぞ」。そう言われて出された丼サイズの器の中には、パウダー状のカラスミがうず高く盛られている。眺めているだけでも幸せな気分になるその金色を、遠慮なく「好きなだけ」かける。味わいはもちろんのこと、『やまぐち』の料理は食べる人に楽しみと強烈なインパクトを残す。
カウンターは6席。山口シェフがお客様一人ひとりとじっくり向き合えるサイズ。
蕎麦割烹店でのアルバイトから始まった、料理人への道
「岐阜県で生まれ、両親からは弁護士になることを望まれて育てられました。ところが、大学進学を機に上京すると、アルバイト先の蕎麦割烹で料理の面白さに目覚めてしまった。蕎麦打ちもやったし、蕎麦つゆのかえしから何でも夢中で作りましたね。調理も面白かったんですが、厨房の外も楽しかった。そこは芸能人や著名人も数多く訪れる店で、冷製パスタの先駆者といわれているイタリアンのシェフも常連さんでした。大将とその方の親交が深く、ある時、お店にご招待していただいて彼の作るトマトの冷製カペッリーニを食べたわけです。冷たくて細いパスタは相当な衝撃でした。当時は“イタめし”ブームでしたが、ぶっちゃけ僕の中でパスタと言ったら、母の作ったナポリタンやミートソースくらいしか食べたことがありませんでしたから。」
京ことばの柔らかいイントネーション混じりに、軽やかな口調で語る山口氏。独創的なイタリア料理の名手のルーツは蕎麦割烹にあったと聞き、和とイタリアの融合と形容される『やまぐち』の料理に合点がいった。
祇園にあるお店ということを意識し、祇園で遊ぶ人の店であることを大事にしたいという山口シェフ。
料理人としての原点となった「トマトの冷製カッペリーニ」の衝撃
大学を卒業すると、親の反対を押し切って蕎麦割烹の店に住み込みで働き始めた山口氏。和食の技術を磨きながら、細いパスタを冷水で締めたあのメニューを忘れることはなかった。
「蕎麦コースを注文されたお客様に、大将が更級の白い蕎麦にフルーツトマトのソースをかけてお出ししたことがありました。あの冷製パスタを和でアレンジでしたものでした。味見をしたら蕎麦とも相性も良く、料理の無限の可能性を感じて。いつか自分もそういうことができたらと思ったことを、今も覚えています。」
その後またあのイタリア料理屋を再訪する機会に恵まれ、山口氏は再び冷製カペッリーニにありつく。「それがまた美味しくてね。記憶の中の味を軽く超えていきました。イタリア料理への憧れはますます膨らむ一方で、思いきって大将に相談したら『親に啖呵を切って蕎麦屋に入ったのに、イタリアンに進みたいなんて何を考えているんだ!』と怒られました(笑)」
やまぐちのトマトの冷製カッペリーのトマトソースはアメーラトマトとオリーブオイルの黄金比を極めたもの。
そんな折り、日本における自然派イタリアンの第一人者と言われる「カノビアーノ」より、和のテイストの調理ができる料理人を探しているという話が舞い込んできた。山口氏は蕎麦割烹での修業経験しかなかったが、「やりたい」と思った。
「『カノビアーノ』は京野菜をイタリアンに落とし込んだ先駆者。東京で自然派イタリアンが成果を上げ、京野菜の本場・京都で出店する運びになりました。京都店のシェフを任されたものの、朝採れの新鮮な京野菜をシンプルなサラダでお出ししても、京都の人にはあまり受け入れられなかったんです。」
東京では珍しい京野菜も京都の人にとっては日常の食材。加茂なすなら京都の人は田楽で食べるのが好きというのは、幻想にも似た思い込みに過ぎない。「京都でやるのだから京都の人を意識した料理への転換が必要だ」と山口氏は考えた。
「考えてみたら、京都のラーメンは見た目はあっさりしてそうなスープでも、背脂のたっぷり入った背徳感すら感じるこってり味だったりするんです。自分が京都の生活に馴染むほど、実は京都の人たちは意外性も受け入れてくれる土壌があるんじゃないかなと気づかされて。それならシンプルな料理より、驚きやワクワクのある料理を出さねばと思ったことから、僕の料理が変わっていくきっかけになったんです。」
驚きのからすみかけ放題、初めてのお客様はついかけすぎてしまう方も多いとか。
和とイタリアンとの融合から生まれた、背徳感を感じる豪快な「ぎおん料理」
期せずして「カノビアーノ京都」の大阪移転が決定。京都の地でイタリアンの新たな可能性を模索中だった山口氏は岐路に立つ。東京のレストランから引き抜きの声もあったが、京都に活路を見出した。
「この頃、レストランウエディングを多く受けるようになり、料理を介してお客さまをアッと驚かせるような体験を提供する今のスタイルになりつつありました。それを京都で何とか完成させたかった。そんなとき声をかけてくれたのが『リストランテ ティヴォリオベーネ(t.v.b)』でした。オーナーが言ってくれた『山口の料理は祇園に合っている』という一言が、背中を後押ししてくれました。」
『t.v.b』で3年間シェフを務めながら、和とイタリアンの融合を追求し続けた。そして2011年、祇園花街に『やまぐち』を開業した。
「こだわったのはロケーションとシチュエーションでした。京都まで来てご飯を食べていただくわけですから、東京で食べられるイタリアンやイタリアで食べる本場の料理をお出しても面白くないなと。では祇園ならではの感じをどう表現するか。祇園南側は思いきり花街です。花街はお座敷で遊ぶ場所であり、飲食店はお客さんがお茶屋さんに行くまでの腹ごしらえに利用するところ。一種のエンターテインメントなんですよね。だったら食材は高級なものを、それも豪快にお出して楽しんでいただけたら。」
舞妓さんも行き交う花街祇園の風情ある小道
山口氏は祇園に根付く文化や慣習を知るからこそ、祇園は芸事のスペシャリストたちが一流のサービスでお客さまを楽しませる場所なのだと花街に対して敬意の念を抱く。山口氏いわく「祇園のレストランはお座敷の前座」。だからこそ食材選びに一切の妥協を許さず、遊び心に飛んだ大胆なサービスで料理を提供し続ける。
スペシャリテである自家製カラスミの冷製カペッリーニは、まさにお客さまに楽しんでもらうための華やかな花街サービスの一つではないか。
「いつだったか、カラスミを作りすぎてしまったことがあったんです。大量に余った分を丼に盛って『好きなだけかけてください』と提供したら、お客さんが喜んでくださって。それからはずっとカラスミづくりに追われる毎日です。」
そう言って山口氏はいたずらな表情で微笑んだ。「今食べたいと思う素材をすべてお楽しみいただけるように」と、どの季節に訪れても伊勢海老やフカヒレといったゴージャスな食材が惜しげもなくコースを彩る。そのエンターテインメント感たるや。「楽しませたい」という強い想いが核にある山口氏の料理は、いつでもお客さまからうれしい悲鳴を誘い出す。
「こんなにトリュフが乗っていていいのかしら」「アワビをまるごと1個食べたなんて嫁には言えないよ」「お昼間からキャビアにシャンパンなんて、主人には絶対内緒だわ」そんな背徳感にそそられたお客さまの感想も、山口氏にとってうれしい賞賛の言葉だ。
蝦夷鮑のステーキとリゾットには上質なトリュフがふんだんにかけられる。
一見さんお断り、完全紹介制を貫いているのは、お客さまとの信頼関係を大切にすればこそ。
「もっと美味しいものを食べたいーそんなお客さまの期待に料理で応え続けることが、これだけの対価をいただく責任だと思っています。完全紹介制であえて間口を狭めることで、お客さま一人ひとりとじっくり向き合い料理ができる。その分、お客さまとの距離感は縮まりますが、甘えは禁物。『それとこれとは別』の精神でお客さまに対する緊張感は失わないよう心がけています。」
味と独創性のあるサービスにより、背徳感と喜びのとりこになったお客様が新たなお客さまを呼び人気は高まるばかり。しかし『やまぐち』を体験できる席は2年先まで空くことがない。
祇園に魅せられた山口氏の視線の先にあるのは、数多あるイタリアンレストランではなく、祇園にあるすべてのお店。
花街という華やかな舞台で、祇園らしく独創的な「おいしい」エンターテインメントを創作しながら『やまぐち』はこれからも輝き続ける。
CHEF’S COMMENTS
シェフからのひとこと
何回食べても飽きない料理こそ、お客さまが感動してくれる料理だと思っています。料理人としても何度作っても新鮮な気持ちで向き合いたいと思っています。
ご来店いただけないお客さまにもぜひその味を楽しんでいただきたいと思いました。
贅沢な食材を豪快にいただくのが当店のスタイルです。キットのメイン食材をたっぷり乗せてお楽しみください。お店では季節や仕入れでトッピングする食材は変えてアップデートに努めています。ご自宅でもお好みでトッピングなどアレンジを加えてお楽しみいただければと思います。
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